デビルズ・バックボーン

2020-06-24

デビルズ・バックボーン (原題The Devil’s Backbone El Espinazo del Diablo(悪魔の背骨))

1939年スペイン内戦末期、モニュメントのように中庭に不発弾が突き刺さる荒地の孤児院を舞台にした恐怖と切なく奇妙な出来事を描いた傑作ヒューマン・ホラー作品。

主人公カルロスは父親の戦死も知らされぬまま孤児院に連れてこられ、夜毎現れる少年サンディの幽霊に怯える。サンディの霊は「これから大勢死ぬ」と不吉な言葉を残して消える。孤児院を運営する不気味な大人たち、子供に暴力を振るう元孤児の管理人、逼迫していく内戦情勢、高まる不安と緊張がピークに達した時、乱暴な管理人ハシントの手引で孤児院に強盗団が押し入り惨劇が起きる。

評価 ★★★★★(満点)

ジャンル:ホラー、サスペンス、ヒューマンドラマ

あらすじ

ホラーと銘打ってあるが、根にあるテーマは人の成長である。そして亡霊とは何なのか…。

この孤児院を運営する大人は、皆どこか不安定である。不能者で二分脊椎症(デビルズ・バックボーン)の奇形胎児を漬けたラム酒を「これはリンボ(Limbo:辺獄)で、精力剤だ」と言って飲む老教師カサレス、老教師と恋人関係にありながら管理人と不貞をしている片足が義足の女院長カルメン、元孤児で気性が荒く子どもたちに暴力を振るい恐れられている管理人ハシント、住み込み手伝い女のコンチータはハシントと婚約をするも不安を抱いている。それらの人物が不発弾を囲むように建つ孤児院という共同体を運営している。

この作品の主人公カルロスは内戦で共和派の闘士だった父親を失い、孤児院にやってくる。与えられたベッドの番号は12番。子どもたちは「そこはサンティのベッドだ。サンティは中庭に爆弾が落ちてきた日に、忽然と消えた…」と囁きあう。

主人公カルロスは12番のベッドで眠った日から、サンティの亡霊を見るようになる。サンティの亡霊は額から血を流しながら「大勢死ぬ」と不吉な予言を残して消える。孤児たちはそれぞれにサンティの幽霊や消息を噂し合うが、孤児の一人ハイメは何か知っている素振りを見せる。彼はサンティが中庭に爆弾の落ちてきた大雨の夜に管理人ハシントに殺されたのを見ていたのだ。

カルロスは夜な夜な現れるサンディの亡霊の存在を老教師カサレスに相談するが、カサレスはこの映画のタイトルにもなっているデビルズ・バックボーン(二分脊椎症)という先天性奇形の胎児を漬けたラム酒を差し出す「これは、リンボ(Limbo:辺獄)だ。貧困と病気が産んだ望まれない子どもだが内臓と男性機能に薬効がある。飲めば、勇気がつく」

悪魔の尾のように背骨が別れ露出した胎児の瓶詰めから濁った酒を掬うシーンはなかなかインパクトがある。またこれをリンボ(Limbo:辺獄)と呼ぶセンスは中々のものだ。Limbo:辺獄は、キリスト教カトリックにおいて、「原罪のうちに(すなわち洗礼の恵みを受けないまま)死んだが、永遠の地獄に定められてはいない人間が、死後に行き着く」と伝統的に考えられてきた場所のこと、とウィキペディアには記されている。つまり、幼子の行く地獄なのだ。このようなものを「精力剤だ」と言って愛飲している老教師カサレスは、実は不能者である。毎朝、隣室の女院長カルメンに壁越しに愛の詩を朗読し、カルメンもそれを微笑みで受け入れる。しかし、カルメンはカサレスの穏やかな愛を受け入れる一方で粗暴な管理人ハシントと肉体関係を持っていた。二人の関係はハシントが17歳の時から始まり、ハシントは「あんたが俺を離さない限り紳士なカサレスは何もできない」と揶揄する。カサレスは二人の交わる声を壁越しに聞いて関係を承知しつつも自身が不能であることを恥じ、何もできないのであった。

そんな中、刻一刻とスペイン内戦の状況が悪化し、町では共和派の処刑が始まる。孤児院を運営する女院長カルメンはかつて共和派の闘士で、片足を失っているのは内戦の影響だった。孤児院が共和派であることが知られたらただでは済まない。知らせを受けた院長たちは急いで資金をまとめて孤児たちと孤児院を脱出する決意を固める。

しかし、管理人ハシントが女院長カルメンに「俺との関係を精算し、孤児院を捨てて出ていくなら隠している金塊を寄越せ」と迫る。彼もかつてはこの孤児院の孤児で、自らが育ったこの孤児院を嫌い、ここで過ごした15年分の過去ごと消し去るために金持ちになりたいと願っていた。そのために女院長カルメンが隠し持っている金塊を狙っていたのであった。ところが、ハシントは老教師カサレスにライフルで脅され、カルメンからは杖で一撃を喰らい孤児院から身一つで追い出されてしまう。孤児院から拒絶された彼はガソリンを撒き火を点ける。手伝い女のコンチータが妨害するものの、あえなく大爆発が起き多くの子どもが死傷、カルメンは瀕死、カサレスも重傷を追ってしまう。軽傷なコンチータは自分が夜通し荒野を歩き、町に事件を知らせてくると出発。カサレスは瀕死のカルメンを看取り、重傷の体を引きずり孤児院の二階の大窓から荒野を見下ろせる位置に椅子を構え腰を据える。傍らにライフルを携え「ハシントが戻らないようここで見張る」と言い、カルロスにレコードを窓に向け大音量でかけるように頼む。胸からは出血し続け、誰の目にも死が近いことは明らかであるが「私は今まで何も成し遂げられなかった。今回は違う。死んでもここを動かない」とカサレスは言う。

一方、荒野を歩むコンチータは一台の車に出会う。助けを乞おうと車を止めるが、出てきたのはハシントと彼に孤児院に金塊があると言いくるめられた男たちだった。ハシントはコンチータに「俺に謝罪して、仲間に加われ」と脅すが、コンチータはこれ拒否して殺害されてる。そしてついに子供だけの孤児院に、強盗を伴ったハシントが戻ってくる。

強盗たちはライフルを携え二階から見下ろすカサレスが死んでいることを見抜き、金庫を目指し押し入ってくる。先に侵入したハシントは子どもたちを捉えて小部屋に閉じ込めて鍵を下ろす。

子どもたちは強盗が金庫の鍵をこじ開けている間に脱走計画を練る。まず、小柄な年少の孤児の一人を小窓から脱出させ、表から扉の鍵を開けるのだ。しかし小窓から脱出した年少の孤児は足をくじいてしまう。すると、不思議なことが起こり、何者かの足音の後に扉の鍵はひとりでに開く。足を挫いた孤児は「カサレス先生が来て手当をしてくれた」と言う。傍らにはすでに二階で命を落としているはずの老教師カサレスのハンカチが落ちていた。

一方、強盗たちはこじ開けた金庫に目的の金塊は無く、孤児たちの昔の写真が入っていただけだったことに落胆していた。そこには手引したハシント自身の写真も保管されており、裏には、「天涯孤独にして身寄り無く愛を知らぬ少年 1925年マラガにて」と記されていた。ハシントは感慨深そうにその写真を手に取り眺める。悪辣なハシントから初めて人間らしい後悔と逡巡を感じるシーンだ。翌朝、金塊が見つからないことに見切りをつけた強盗たちはハシントを置き去りにして車で去るが、ハシントはカルメンの義足内に隠してあった金塊を見つけていた。彼が服で腰に金塊を括り付けている時、脱走した子どもたちが現れてハシントを挑発し地下の貯水槽に誘導する。ライフルを持って迫るハシントを柱の陰に隠れていた子どもたちが力を合わせて攻撃し水槽に落とす。ハシントは身につけた金塊の重さで沈んでいく。そこはかつて自分がサンディの死体を捨てた場所であった。慌てて金塊を外そうをするがサンディの霊は沈み行くハシントへ手を伸ばし、水底に引きずり込んで復讐を達成する。

すべてが終わり、映画は最後、カサレスの詩の朗読が流れる。

「幽霊とは何か 過去から蘇ってくる苦悩の記憶か たとえば激しい痛み 死者の中で生きているなにか 時の中にさまよう人間の思い 古い写真のように 琥珀の中の昆虫のように…」

スプラッターホラーのような派手さはないが、荒野の孤児院の閉塞感、背景に横たわり続ける『戦争』という重く陰鬱な空気、じわじわと高まる緊張感は一級品である。本作の幽霊は基本的に無力であり、影から生者を見つめ、人によっては気のせいで済まされるような微弱なポルターガイストを起こす程度しかできない。この映画はホラー作品でありながら、凄惨な事件は悪意ある生者によって引き起こされるものとして描いているのだ。

人は苦難を乗り越え成長する事ができる。それに対してこの映画の亡霊とは何か。なぜ、着地した瞬間そのままの不発弾、ラム酒漬けの奇形胎児、金庫の中のセピア色の写真というように停止した時間のイメージを繰り返すのか。

それはラストシーンの老教師カサレスの詩に表されるように、この映画が、亡霊を時の流れに取り残された存在、癒えない傷、錆びついた感傷に限りなく近いものとして描いているからではないだろうか。それはときに逆境にある人の背を支える力となり、ときに道を誤らせ命取りになる危ういものだ。荒野に建つ孤児院を舞台にしたホラーである本作は、主人公と孤児たちが老教師の亡霊に見守られながら孤児院を出て荒野を歩み行くシーンで終わる。彼らの苦難の道程が予感される幕の引き方であるが、作中で成長した彼らはすでに孤児院という子宮に留まる胎児ではないのである。一方で殺害された孤児サンディの死体が漬けられ、愛を知らぬ管理人ハシントが沈んだ地下の貯水槽は孤児院という子宮の中の巨大な羊水である。それと同時に、子どものまま死んだ者、そして愛という洗礼に恵まれず永遠に成熟できぬ者の行き着くリンボ(Limbo:辺獄)なのだろう。

同監督の「パンズ・ラビリンス」とこの映画はスペイン内戦下の子どものホラー体験を描いた作品で類似性がしばしば指摘される。「パンズ・ラビリンス」が少女の目を通したスペイン内戦下の内面描写と華々しくも毒のある映像美がメインならば、こちらは内戦下の少年の成長譚と荒野の荒々しいイメージと言ったところか。国際的にはパンズ・ラビリンスの評価が高いが、こちらも負けぬほどよく作り込まれている。監督自身も「自分の手がけた作品の中ではベストだと思っている。ぱっと見の派手さはないが、視覚的には、信じられないほど細かい部分まで考えて作られているんだ。『パンズ・ラビリンス』は野外歴史劇のように見た目にも相当ゴージャス。『デビルズ・バックボーン』はセピア色のイラストみたいだ」と語っている。今現在では、中古DVDはプレミア価格、有料配信サイトでも未配信でなかなか観る機会に恵まれないものになっている。気になる人はレンタルショップを当たってみよう。